メリークリスマス!
- 大阪城南キリスト教会
- 2021年12月25日
- 読了時間: 4分

私は毎年中学1年生の聖書の授業を担当させていただいております。2学期の中間試験が終わるとクリスマスが近づいてきますので、どのクラスでも「みんなにとってクリスマスってどんな日ですか?」と問いかけるようにしています。みなさんが中学1年生ぐらいのころ、「クリスマスってどんな日ですか」と問われたらどのような言葉を返されるでしょうか。
ここ数年中学1年生のどのクラスでも一番盛り上がるキーワードがあります。どんな言葉か想像してみてください。答えは「リア充」です。そう、「クリスマスといったら、リア充やろ」と、一人が「したり顔」で口にすると、周囲の人たちがどっと笑いだし、人によっては恥ずかしそうな顔をして、目を背けるようなしぐさをして見せたりするのです。
「リア充」をご存じない方のために簡単に解説をすると、「リア充」とは「リアルが充実している」の略語で、通俗的にいわゆる「お付き合いしている誰かがいる状態」を指しているようです。つまり、いわゆるラブラブな聖なる夜を過ごすと
いう情景を妄想しているわけです。ちなみに、リア充の対義語はリア充にあらずということで「非リア」というそうです。もはや、理解不能と思わざるを得ない言葉ですが、実はクリスマスという出来事の真理を私たちに示しているのではないかという確信が年々強くなってきているのを感じるのです。なぜなら、み子イエス・キリストはまさに人々の「リアルを充実させるため」にこの世にお生まれになったからです。聖書の世界におけるリアルの充実とは一体何を指しているのでしょうか。ここで、クリスマス物語のワンシーンを紹介いたします。
「何、救い主が生まれるだと、それは一体どんな奴なのだ」
「それは、幼子です」
「何だと、幼子だと。わたしの王座を脅かす屈強な成人男性ではないのか」
「違います。幼子です」
「それならば、私も言って拝もう。見つけたら知らせてくれ」
この一連のやり取りは、日曜学校の聖誕劇などでもよく用いられる、ときの王様であるヘロデ大王と3人の博士たちのやり取りです。天使たちが羊飼いに告げるまで、ユダヤの民の救い主としてお生まれになるのが小さな赤ん坊であることはマリアとヨセフ、親類のエリザベトとザカリア、そして星の導きによってベツレヘムへとやってきた占星術の学者たちだけでした。
一方で、時の権力者たちからすればどんな有力者が救い主として現れて自分の王座を脅かすのだろうかと戦々恐々としていたという様子が描かれます。だからこそ、ヘロデは兵士に命じてベツレヘムにいる2歳以下のすべての男の子を殺させたのではないだろうかと想像できます。しかし、神が遣わされた救い主は武力や財力で世界をひっくり返してやろうというような存在ではなく、ただ純粋に真っ直ぐ生きていくことだけを主張する小さな赤ん坊でした。生まれたばかりの赤ちゃんに出来ることは、オギャーと産声を上げて、そのあとは周囲の誰かにすべてを委ねて、ただただ叫び続けるだけです。「私はここに居るよ」と。その真っ直ぐな姿こそが、神が私たちに求めておられることではないだろうかと強く感じるのです。
幼子に限らず人間というのはいくつになっても、誰もが「ここに居るよ」、時には「助けて」とか「お腹すいたよ」とか、楽しいこと、嬉しいこと、困っていることや悩みや苦しみをどんどん言葉にしたくてたまらないはずなんです。しかし、分かち合う人が近くにおられないのか、思いを言葉にすることが赦されない環境に身を置いているのか、我慢して我慢して、気が付かないうちに孤独になってしまい、自分をどんどん苦しめてしまう人が後を絶ちません。
み子イエスの別名である「インマヌエル」は、「かみはわたしたちとともにおられる」という意味です。もし、わたしたちがけっして独りぼっちではなく自分のことを心から信頼してくれる誰かがいつもそばにいると信じることが出来たら、少しは真っ直ぐに生き続けていくことができるのではないだろうかと、苦しくなった時ほど強く感じます。そして、「どんな時でも誰かがそばにいてくれるという実感」こそが私たちにとって本当のリア充なのではないかと思うのです。
「はじめに言があった」とは、創世記で神がこの世界を創造されたときに「光あれ」といって言葉によってこの世界を創られたことを思い起こさせますが、同時に生まれたばかりの産声をも思い起こさせます。神は私たちの産声とともにあり、生まれたての赤ちゃんの産声ように真っ直ぐ、わたしたちの声を聞き入れてくださいます。そして、どのような暗闇の中でも、先行きの見えない状況下であってもそ
の闇の中で与えられたこの命を自分らしく輝かせなさいと私たちを励まし続けておられます。世界中がいまだに不安を抱えているこの時にこそ、私たちが神さまに与えられているこの命を何よりも大切にしながら、これからも日々の出会いを重ねていくことが出来ますように願いつつ、心温まるクリスマスを一人でも多くの人と分かち合うことができますように祈り続けます。
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